法臺寺縁起

 法台寺は、阿弥陀三尊(*1)をご本尊とする一遍上人(*2)開祖、二祖他阿上人(*3)開山、そして観智国師(*4)を中興開山の祖と仰ぐ古刹である。

 源頼朝存命の治承4(1180)年、勅許に依り「館」が建てられた。その館を「清浄殿」と名づけた。それが当寺の原型となった「廣澤の清浄殿」である。
 執権職北條時宗の時、すなわち文永3(1266)年仲秋、宗尊親王の命に依り、源実朝の御台所久米御前(*5)(法名「廣澤院従二位承山寶臺禅定尼」)の菩提を弔うためにこの、清浄殿を「廣澤院寶臺寺」とした。寺院として建立したのである。(当寺に残る延享元(1744)年の記録より『武藏野現來新坐郡野方領廣澤庄久米留川里片山之郷大平山廣澤院寶臺寺』の表記が見られる)

 その後、一遍上人の弟子である他阿上人が遊行のために立ち寄った寶臺寺、すなわち、当寺を時宗における道場とした。そして、他阿上人開山の寺として寺域を整えた。当寺には時宗の塔婆である「南無阿弥陀佛」の六字名号を著した石碑「板石塔婆」が10基(県指定文化財)現存している。同じく、他阿上人の木像(県指定文化財)も安置している。

 さらに、江戸時代、徳川家康に浄土の教えを説き、師壇の関係を結んだ観智国師が当寺の中興開基となっている。

 国師は八王子城を守り、討ち死にした父の命により当寺14祖蓮阿上人のもとに10歳で出家、得度する。そして浄土宗白幡流儀をよく研鑽し、後の芝増上寺12世の中興開山となる。当寺もこの時から浄土宗に改宗された。国師は後陽成天皇に宗儀を進講し、国師号を賜ったので、国師69歳の寿像を当寺に納め、さらに寺号を「法臺寺」に改めさせた。当寺は寺領13石5斗の御朱印を家康公より賜り、旧増上寺の本堂を当寺に移築し、寺域を整えたのである。当時の境内地面積は「五町七反八畝壹歩也」と記録に残っている。

 当寺は明治20年に近隣の災禍を受け、本堂以下堂宇を悉く灰燼に失った。そして明治25年に五間四方の仮本堂を建立した。

 第2次大戦後50年を経た平成元年、仮堂のままであった本堂改築の大願を、前三十六世と現三十七世住職によって立てた。総代、世話人、檀信徒の三位一体勧進のもと、本堂・山門・鐘楼堂等の堂宇の整備に着工した。発願から10年余り、平成10年4月、山門の落慶を最後に、寺域の整備が整えられた。

合 掌

 

*1 阿弥陀三尊

 当寺のご本尊であり、恵心僧都の作と言われる。中央に上品下生の来迎阿弥陀如来像、脇侍に勢至菩薩の合掌像、観音菩薩の来迎像、三尊が金色の蓮台に立っている。「黒本尊」とも呼ばれ、市指定文化財になっている。

*2 一遍上人

 一遍上人(智真)は、遊行上人とも呼ばれ、時宗の開祖である。一遍上人は全国各地に念仏行脚(遊行)を続けながら「南無阿弥陀佛決定往生六十万人」の記された念仏札を賦算した。念仏札によって各地の道場で多くの「時衆」といわれる信者と結縁を結んでいる。

*3 他阿上人

 他阿上人(真教)は、時宗の二祖で一遍上人が入寂すると各地の道場に寺院を建立するよう命じ、「時宗教団」を堅固にした。当寺には他阿上人の直筆であろうといわれる「南無阿弥陀佛」の六字名号の板碑他、他阿上人の木像が安置されている。

*4 観智国師

 観智国師(幼名「松千代」)は武州多摩郡由木村に、由木左衛門尉利重の次男として生まれた。松千代10歳の時、父利重は相州小田原北條陸奥守氏照に従って八王子城を守ったが、その後陥落し、その際討ち死となった。松千代は、父の命を受け、寶臺寺14祖蓮阿上人のもとで出家、得度して「慈昌」と号した。
 慈昌は18歳(永禄4年、1561)相州岩瀬の大長寺存貞の室に入り存応と改号した。その後、白幡の流儀を研鑽し武州上蓑長伝寺を開き、師存貞と共に貝塚の称名院に移った。
 貝塚の称名院では徳川家康と師壇の関係を結び、称名院を増上寺と改め、芝の地に移し家康の菩提所とした。
 慶長15年(1610)後陽成天皇に宗義を進講し「普光観智国師」号を賜った。これを記念して、国師69歳の寿像(市指定文化財)を造らせ、当寺に納めさせた。
観智国師の法名は「貞蓮社源誉上人慈昌存應普光観智国師」である。

*5 久米御前

 久米御前は千葉常胤の娘として生まれ、源実朝の側室である。その後、尼僧となった久米御前は、鎌倉から離れたこの廣澤の清浄殿を隠れ家とし、隠遁生活を送った。
 久米御前に従っていたお附きや家来、鎌倉武士も同時にこの地に土着した。当寺ではこれら一族の菩提を連綿とお守りしている。当寺の檀家には、並木、貫井、本多、大塚、田中等の姓名を持つものが多いが、それらは当時、苗字を持つことを許された家来、武士から連なる家系であることを示している。

 

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